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昨日より近づいたか。

いや遠ざかったかも。

大して変わってないか。
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パチュリー練習中。

パチュリーと言えなくも無い。

ニコニコでフラワリングナイト見た。
マジいきてえ。
次があるなら絶対いく。
あまり絡んだことの無い先輩達のグループの誕生日パーティーに呼ばれて。

生まれて初めてビールかけというものをやった。
すさまじい浪費感に驚きを禁じえない。
並べられた200本のビールとそれをかけあう半裸の男達。

炭酸抜けたビールをもったいないから飲んだらかけられた。
残ったビールは直接かけるのが作法らしい。

約10分ほどで終了。
10分6万
1分6千
秒100円。

あのひとたちはほんとにスケールがでかいなぁ。

割り勘おまけしていただいてありがとうございました。



男子用のシャワーでは処理しきれないので女子用もつかった。
女子用でシャワー浴びてたら覗かれた。
あらたな感覚に目覚めた。
しました。

結果から言ってよくもあり、悪くもあり。

澪尽くし編の感想としては、最後以外は良し。
泣きながらやらせていただきました。
酔ってたけど。

でも終盤の失速っぷりはかなり幻滅。
祭囃子編の存在意義を完全に履き違えたお約束の踏襲的マンネリシナリオ。
以下ネタバレ。
未プレイの方はもったいないので読まないでください。
本当にもったいないですから。















そもそも祭囃子編の存在意義は梨花の完全なる理想世界。
誰一人かけることなく仲間がお互いを信じあい誰一人かけることなく昭和58年の6月を超えること。
それまでの各編の悲劇があって初めて存在意義が出てくる究極のハッピーエンド。
だからこそ少し強引とも思えるような展開も意味を持ってくるし重みが出てくる。
むしろ最終章として何かひとつでも欠けた世界では存在意義は無い。
罪滅ぼし編と同格の存在まで落ちてしまうと思う。

ここまで読んだ人はプレイ済みだとおもうのではっきり言ってしまうが、澪尽くし編を尻すぼみにしてしまった原因は羽生だ。
この章の羽生ははっきり言って存在価値が無い。
一見、羽生も傍観者から一転して積極的に運命に挑み、勝利を勝ち取ろうと最大限の努力をしているように見える。その結果自分以外のすべてを幸せにするために自らの命を差し出して梨花の未来をつないだ、ということになっている。
お約束のお涙頂戴的なストーリー展開で圭一と梨花に看取られながら満足して昇天、梨花も悲しみを振り切って”あなたを忘れない”とか抜かしながらハ@ッピーエンド。
ここで一回思い出してみよう。
鬼隠し編の圭一の対応は?
仲間を信じずに主観的な視点で物事を捉えた。
綿流し・目明し編の詩音の対応は?
全てを疑い実の姉妹にも相談せずに主観的な視点を信じ込んで行動の指針にした。
皆殺し・祟殺し編で鉄兵にとらわれた沙都子の対応は?
正しいと信じて誰にも相談せず頑なに我慢を貫き通した。
罪滅ぼし編のレナは?
仲間に相談せずに独りで戦った。

ひぐらしの各編を通して竜騎士07さんがしつこいくらいに訴えているテーマは各章をやればどんなバカでも明らかなはず。
仲間を信じること。仲間を信頼して相談すること。
転じて言えば独りの思考では何も解決しない。仲間に打ち明け、多角的な視点で論議することによって初めて本当に正しい最善手が見えてくる。どうせ信じてくれない、どうせ相談しても何も変わらない、そんな思考では決して望む未来を手に入れることはできないってことだ。
そしてこうも言っている。
独り善がりの自己犠牲はけっして相手にとって幸せにはならない。
自分が犠牲になることで仲間を救ったとしても残された仲間は決して望んだ再考の未来にはならない。なぜ自分はあの時救えなかったのか、こうしていれば仲間を失うことはなかったんじゃないか、と後悔して過ごす事になる。それは決して理想の未来ではない。

それを踏まえて澪尽くし編の羽生を見直してみる。
「梨花は天邪鬼だから」「自分がいれば梨花は頼ってしまうから」
などとのたまい梨花の前から姿を消し、裏でほかのメンバーに働きかけて道をしめす。
これは裏返せば梨花を信じていないということ。梨花は天邪鬼だから、と決め付け、何も告げずに勝手に姿を消し挙句の果てに勝手に銃弾受けて自分だけ死亡。みんなを守れたと抜かしながら幸せそうに昇天。残された梨花が、百年を越す時間を常に一緒に戦ったある意味沙都子以上の親友であり、自らの祖、母たる存在の羽生を失うことでどれだけ悲しむか、どれだけ後悔するかを考えず、独りよがりのヒロイズムに酔って自己満足の極みを体現して勝手に昇天。
百年以上仲間達の成長、惨劇を回避する唯一の方法を見つめてきた千年以上の時を生きた神たる存在が取る行動としてはあまりにも説得力に欠ける。
自らを人間以上、超常存在として考え”仲間”ではなく”指導者”としての行動としか捉えられない。

祭囃子編での羽生も結局は自ら銃弾をうけとめようとしたじゃないか、と思うかもしれないが、それは違う。
祭囃子編での羽生は”仲間”として戦おうとした。
実体化が自らの存在を薄める命をかけた行為と自覚してなお”仲間達と一緒に”全力で行動した結果、鷹野の意思の力でさらされた危機に自らの力を使って仲間を生かそうとした行動。その結果の奇跡だから価値がある。
奇跡の連続ではなく、百年を経た戦いの結果与えられた唯一の奇跡。
罪滅ぼし編で得られた圭一が前の記憶を引き継いでいるというのは奇跡ではなく、鬼隠し編での強い後悔、強い意志から導かれた結果だ。
皆殺し編で奇跡と表現された各行動も全て同じ。理由がある。これは奇跡ではなく戦いで得られた結果。祭囃子編最後の奇跡は違う。
まぁ羽生の血族だから、とか説明できないことも無いけど戦いの結果得られた成果ではない。真の意味での奇跡だと思う。
だから価値がある。
澪尽くし編とは違う。

はっきり言って脚本家は原作を理解していたとは思えない。
ひぐらしは平行世界の連続を通して見た可能性の羅列が特徴!
だからこんなハッピーエンドもありえるよねつ☆てへっ!
としか考えてないんじゃないだろうか?
あるいは、理想のハッピーエンドは原作でやっちゃったから原作ファンを楽しませるためにまぁこんなのもアリなんじゃない?
とか考えて同人と商業の流通規模を無視した安直な発想からPSで初めてやるユーザーを無視したごまかし的ストーリーを適当に作っただけなんじゃないだろうか?
追加ストーリーの盥回し編・憑落とし編も既存の編を焼き直しただけだし。
結局別な形での理想の未来を期待して長時間付き合ってきたユーザーを煙にまいて最後は何の重みも無い倖田來未の劣化コピー見たいなエンディングを流して終わりでは読後感、後味が悪すぎる。
せっかく別の形で究極の信頼を獲得していく過程が面白かったのに台無しだ。

だいたいそらのむこう・YOUが神曲なのは音楽的な素晴らしもさることながら、原作のテーマを訴えかけるような詞にあると思う。その詞を完璧に引き立てる控えめながらも訴えかけてくるようなメロディーが加わってこそ。
ボーカルもよく聞こえないポップでキャッチーなだけの流行メロディーなだけでは何の感動も受けないね。
実際PS版しかやってないマイミクのはなさんはエンディングテーマにさして感慨を受けなかったそうだ。
商業化最大の弊害だね。
下手に一般受けを狙うから素晴らしかったものを結果的に劣化コピーにしてしまう。
ああいったタイプの曲(原作)があんまり好きでない人も原作を通してやった上で聞けば大多数の共感は得られたと思うのに。

まぁ確かにYOUは夏影のコピーと言えなくも無いけどね。そこは同人なので大目に見ましょう。
原作の雰囲気にぴったりなのは確かだし。



総括して、全編プレイの感想は”もったいない”の一言に尽きます。
はたして澪尽くし編は竜騎士07さんが本当に認めたものなんだろうか?
本当に全面監修したんだろうか?
とても疑問です。

もちろん上で言った話は自分の勝手な愚痴みたいなものだし、テーマの話にしても自分の読解ミス、単なる勘違いかもしれません。
僕は竜騎士07さんと話したわけでもありませんし、単なる僕の感想です。
なので、皆さんの感想を聞かせてほしいです。
検索でたまたま飛んできた一見さんでも、まったく正反対の感想をもって不快感を感じた方のお叱りでも何でもいいです。
うんこだの死ねだのの何の根拠も無い罵倒以外ならどんなことを書き込んでくださってもかまわないので、よろしくお願いします。

それだけが、私の望みです。


なんちゃって。
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