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しました。

結果から言ってよくもあり、悪くもあり。

澪尽くし編の感想としては、最後以外は良し。
泣きながらやらせていただきました。
酔ってたけど。

でも終盤の失速っぷりはかなり幻滅。
祭囃子編の存在意義を完全に履き違えたお約束の踏襲的マンネリシナリオ。
以下ネタバレ。
未プレイの方はもったいないので読まないでください。
本当にもったいないですから。















そもそも祭囃子編の存在意義は梨花の完全なる理想世界。
誰一人かけることなく仲間がお互いを信じあい誰一人かけることなく昭和58年の6月を超えること。
それまでの各編の悲劇があって初めて存在意義が出てくる究極のハッピーエンド。
だからこそ少し強引とも思えるような展開も意味を持ってくるし重みが出てくる。
むしろ最終章として何かひとつでも欠けた世界では存在意義は無い。
罪滅ぼし編と同格の存在まで落ちてしまうと思う。

ここまで読んだ人はプレイ済みだとおもうのではっきり言ってしまうが、澪尽くし編を尻すぼみにしてしまった原因は羽生だ。
この章の羽生ははっきり言って存在価値が無い。
一見、羽生も傍観者から一転して積極的に運命に挑み、勝利を勝ち取ろうと最大限の努力をしているように見える。その結果自分以外のすべてを幸せにするために自らの命を差し出して梨花の未来をつないだ、ということになっている。
お約束のお涙頂戴的なストーリー展開で圭一と梨花に看取られながら満足して昇天、梨花も悲しみを振り切って”あなたを忘れない”とか抜かしながらハ@ッピーエンド。
ここで一回思い出してみよう。
鬼隠し編の圭一の対応は?
仲間を信じずに主観的な視点で物事を捉えた。
綿流し・目明し編の詩音の対応は?
全てを疑い実の姉妹にも相談せずに主観的な視点を信じ込んで行動の指針にした。
皆殺し・祟殺し編で鉄兵にとらわれた沙都子の対応は?
正しいと信じて誰にも相談せず頑なに我慢を貫き通した。
罪滅ぼし編のレナは?
仲間に相談せずに独りで戦った。

ひぐらしの各編を通して竜騎士07さんがしつこいくらいに訴えているテーマは各章をやればどんなバカでも明らかなはず。
仲間を信じること。仲間を信頼して相談すること。
転じて言えば独りの思考では何も解決しない。仲間に打ち明け、多角的な視点で論議することによって初めて本当に正しい最善手が見えてくる。どうせ信じてくれない、どうせ相談しても何も変わらない、そんな思考では決して望む未来を手に入れることはできないってことだ。
そしてこうも言っている。
独り善がりの自己犠牲はけっして相手にとって幸せにはならない。
自分が犠牲になることで仲間を救ったとしても残された仲間は決して望んだ再考の未来にはならない。なぜ自分はあの時救えなかったのか、こうしていれば仲間を失うことはなかったんじゃないか、と後悔して過ごす事になる。それは決して理想の未来ではない。

それを踏まえて澪尽くし編の羽生を見直してみる。
「梨花は天邪鬼だから」「自分がいれば梨花は頼ってしまうから」
などとのたまい梨花の前から姿を消し、裏でほかのメンバーに働きかけて道をしめす。
これは裏返せば梨花を信じていないということ。梨花は天邪鬼だから、と決め付け、何も告げずに勝手に姿を消し挙句の果てに勝手に銃弾受けて自分だけ死亡。みんなを守れたと抜かしながら幸せそうに昇天。残された梨花が、百年を越す時間を常に一緒に戦ったある意味沙都子以上の親友であり、自らの祖、母たる存在の羽生を失うことでどれだけ悲しむか、どれだけ後悔するかを考えず、独りよがりのヒロイズムに酔って自己満足の極みを体現して勝手に昇天。
百年以上仲間達の成長、惨劇を回避する唯一の方法を見つめてきた千年以上の時を生きた神たる存在が取る行動としてはあまりにも説得力に欠ける。
自らを人間以上、超常存在として考え”仲間”ではなく”指導者”としての行動としか捉えられない。

祭囃子編での羽生も結局は自ら銃弾をうけとめようとしたじゃないか、と思うかもしれないが、それは違う。
祭囃子編での羽生は”仲間”として戦おうとした。
実体化が自らの存在を薄める命をかけた行為と自覚してなお”仲間達と一緒に”全力で行動した結果、鷹野の意思の力でさらされた危機に自らの力を使って仲間を生かそうとした行動。その結果の奇跡だから価値がある。
奇跡の連続ではなく、百年を経た戦いの結果与えられた唯一の奇跡。
罪滅ぼし編で得られた圭一が前の記憶を引き継いでいるというのは奇跡ではなく、鬼隠し編での強い後悔、強い意志から導かれた結果だ。
皆殺し編で奇跡と表現された各行動も全て同じ。理由がある。これは奇跡ではなく戦いで得られた結果。祭囃子編最後の奇跡は違う。
まぁ羽生の血族だから、とか説明できないことも無いけど戦いの結果得られた成果ではない。真の意味での奇跡だと思う。
だから価値がある。
澪尽くし編とは違う。

はっきり言って脚本家は原作を理解していたとは思えない。
ひぐらしは平行世界の連続を通して見た可能性の羅列が特徴!
だからこんなハッピーエンドもありえるよねつ☆てへっ!
としか考えてないんじゃないだろうか?
あるいは、理想のハッピーエンドは原作でやっちゃったから原作ファンを楽しませるためにまぁこんなのもアリなんじゃない?
とか考えて同人と商業の流通規模を無視した安直な発想からPSで初めてやるユーザーを無視したごまかし的ストーリーを適当に作っただけなんじゃないだろうか?
追加ストーリーの盥回し編・憑落とし編も既存の編を焼き直しただけだし。
結局別な形での理想の未来を期待して長時間付き合ってきたユーザーを煙にまいて最後は何の重みも無い倖田來未の劣化コピー見たいなエンディングを流して終わりでは読後感、後味が悪すぎる。
せっかく別の形で究極の信頼を獲得していく過程が面白かったのに台無しだ。

だいたいそらのむこう・YOUが神曲なのは音楽的な素晴らしもさることながら、原作のテーマを訴えかけるような詞にあると思う。その詞を完璧に引き立てる控えめながらも訴えかけてくるようなメロディーが加わってこそ。
ボーカルもよく聞こえないポップでキャッチーなだけの流行メロディーなだけでは何の感動も受けないね。
実際PS版しかやってないマイミクのはなさんはエンディングテーマにさして感慨を受けなかったそうだ。
商業化最大の弊害だね。
下手に一般受けを狙うから素晴らしかったものを結果的に劣化コピーにしてしまう。
ああいったタイプの曲(原作)があんまり好きでない人も原作を通してやった上で聞けば大多数の共感は得られたと思うのに。

まぁ確かにYOUは夏影のコピーと言えなくも無いけどね。そこは同人なので大目に見ましょう。
原作の雰囲気にぴったりなのは確かだし。



総括して、全編プレイの感想は”もったいない”の一言に尽きます。
はたして澪尽くし編は竜騎士07さんが本当に認めたものなんだろうか?
本当に全面監修したんだろうか?
とても疑問です。

もちろん上で言った話は自分の勝手な愚痴みたいなものだし、テーマの話にしても自分の読解ミス、単なる勘違いかもしれません。
僕は竜騎士07さんと話したわけでもありませんし、単なる僕の感想です。
なので、皆さんの感想を聞かせてほしいです。
検索でたまたま飛んできた一見さんでも、まったく正反対の感想をもって不快感を感じた方のお叱りでも何でもいいです。
うんこだの死ねだのの何の根拠も無い罵倒以外ならどんなことを書き込んでくださってもかまわないので、よろしくお願いします。

それだけが、私の望みです。


なんちゃって。
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ひぐらし祭 最高。 後悔しません。
ひぐらしのなく頃に祭だけプレイした私の意見ですが、

澪尽くし編、最高でした。最後が予想できた展開とはいえ、感動しました。
梨花に必要なのは自立すること。その目的を果たした最後は非常にうまくまとまっていたと思います。感情的に、羽入が居なくなることが寂しいことは分かります。しかし、いつまでも仲良しグループ全員揃うことが最善のハッピーエンドとは限りません。

羽入は梨花を信じていたからこそ、一人ぼっちにさせた、そして試した。
獅子はわが子を千尋の谷に落とす、仏教的解釈では帝釈天の試練でしょうか。
これを信頼していないから、と早合点する意見には賛同いたしかねます。

プレイしていないのですが、祭囃子編が羽入が生きているエンディングと知ったときの失望感と言ったら...まあ、これは個人的感想に過ぎないのですが。
私が鈍いからかもしれません。ひぐらしが本来どういった形態のゲームか全く知らず、祭で複数のストーリーをプレイしながら、その文章タッチが違うことから、竜騎士07というのは、複数人のシナリオライターから構成されるグループのことか?と勝手に一人で勘違いしていたくらい感性の鈍い人です。文中の誤字脱字、極め付きは皆殺し編において、日食と書くべきところを月食と書くのは原作からのミスでしょうか。そういうところでは興ざめしてしまいましたが。

なお、竜騎士07氏を引き合いに出していますが、それは個人的意見とは関係が無い話だと思います。それに、例えば実写化の話がありますよね。mixiコミュニティでも大半が反対する意見。実写は止めてくれ。でも、竜騎士07氏は実写化に乗り気、というか、ひぐらしの原点とまでおっしゃっていますよね。同様に、ネット上ではひぐらしは原作派が圧倒的で、祭りは黒歴史とさえ評価されています。でも、私は実写化賛成!初めてこのニュースを知った際、作者はきっと実写化に乗り気に違いない!と感じてました。それは祭全編を通したメッセージから感じたことです。それに祭りは素晴らしい。原作から見たら明らかに劣る、というのは何か押し付けがましい意見にしか見えませんし。ネット上で多数の意見が竜騎士氏の意見を反映しているとは私は全く思わないし、そもそも、そういうことに自分の意見を重ね合わせることがおこがましいというか。少数派でも自信をもって自分の意見は主張したいと思います。寧ろ、簡単に祭りはつまらないという原作派の意見を聞くたびに、異なる意見を聞き入れる余裕が無い思考程度で感動とかいう連中め、お前らが推す作品の程度が知れる、とすら感じます。

自分は、竜騎士氏の考えをちゃんと汲み取れる人間なのか?

竜騎士氏を引き合いに出す人は、それが結果的に正しいか、否かの前に、その私的には傲慢にも見える考えが前提として存在しているのですよ。だから、原作者はきっとこうだとか、余計な話をどうして持って来るのか。それとも個人的意見として述べることに自信がないから、権威に借りようとしているのでしょうか。いずれにしてもつまらない話です。
先にも取り上げた実写化反対の意見も、竜騎士氏の意見と対立してでも、自分の意見ではこうだ!と主張するのは分かるのですが、そういう意見は実写化賛成より稀有にみえます。

ひぐらしが好きなのは私も同じ。
ただ、どの点が好きかは人ぞれぞれ。
でも、そんな人同士がひぐらしを通じて仲良くなれたら素晴らしいじゃないですか。
ひぐらしのテーマが人を信じることの大切さ、と言いながら、異なる意見にビビッているとしたら、「お前、何が感動とか言ってんの?」って言いたいですよ。

厳しい言葉の中にも、相手を思いやる点がある、それは実社会で役立ててこそ、感動の価値が上がるというものだと私は考えています。
難しいことだけど。
きりん 2007/09/14(Fri)06:09:16 編集
無題
きりんさんはじめまして。
ご意見ありがとうございます。

なんだかさっそくお叱りを受けてしまったようで。

一つだけことわっておきますと、僕は別に異なる意見にビビってるわけでもその意見を封殺したいわけでもないです。
10人がやれば10通りの感想があってあたりまえですから。
むしろ自分と反対の意見のを聞くほうが楽しいです。
なので、”あなたの意見はここが違う!”とか”あなたはわかってない!”なんていうアホなことを言うつもりなど毛頭ありません。
意見を出し合って討論するのは楽しいですがね。
罵倒合戦になったら何の意味もありません。

原作者を引き合いに出すってのは日本の国語教育の癖かもしれないですね。
日本の国語は作者が何を考えて文章を書いたのかって問題がよく出ますから。
ちょっと関係ない話ですが、野坂昭之の子供が国語の授業で蛍の墓について上記のような問題を出されたとき、「締め切り間近で何も考えてなかった」と答えて怒られたそうです。
本人に聞いたのにw
まぁ読む側と書く側なんてそんなもんです。
作者本人に聞く必要も無いですし、そんなことをしても無粋なだけです。
想像して考えるのが楽しいんですから。

澪尽くし編の話ですが、きりんさんもおっしゃってるように、羽生は”仲間”ではなく”指導者”として戦っていると思います。
澪尽くし編に否定的な人はたぶんそこに強い違和感を覚えるんじゃないでしょうか。
梨花の願いも作中ずっと言っているように仲間の誰一人かけることなくというのが大前提であったはずなので、羽生独りかける展開が納得できないんだと思います。
それが各章ならいいんですが、PS版の最終章なので納得がいかないってことでしょう。
盛り上げ自体は非常に面白かったので、僕はもったいないと感じました。

実写のほうはあまり調べてないのでわからないです。
ただ、メディアミックスでできた映画は駄目になる事が多いので少し不安ですね。
面白いものになるといいんですが・・・。

いずれにせよ、長文でのご意見、ありがとうございました。自分とは異なった意見が聞けてとても参考になりました。
マイミク以外の方にレスをつけてもらえることはほとんど無かったので、とてもうれしいです。
ありがとうございました。
Z 2007/09/14(Fri)11:44:01 編集
返信コメントありがとうございました
Zuka様

コメントありがとうございます。

異なる意見に恐れると書いた点、行き過ぎたようですね。そこはお詫びします。

野坂昭如の子供の話ですが、私が先生の立場だったら同様に怒りますよ。だって、文章から何が言いたいのか読み取ろうとする訓練を怠っているんだから、授業の目的から逸脱しているではないですか。宿題は答えを写させてもらいました、と宣言しているに等しいですよ。元々、個人的に野坂昭如は好きではないのですが、この話は多分、昭如氏本人から流れたのでしょう。やはり、好きになれないことを再確認させるエピソードです。

それ以外は個々の意見の違いでしょうが。
あと、追加として前の意見では触れていなかったのですが、並行世界の話で私は作者の意見に反対してでも、もしそうだったら、罪滅ぼし編の感動は何だったんだ?とか、逆に興ざめしてしまいました。それぞれの世界は終わり無く続くとすれば、そう解釈しなければ矛盾が出てくるのは分かりますが、そうすると物語としての感動が薄れる。鬼隠し編での圭一の行動は、以前が失敗だった、今度は同じ過ちを繰り替えさない、という点で成長が見られます。そして、そこに感動があるのです。単に並行世界を色々見ているだけだったら、成長もクソも無いじゃないですか。罪滅ぼし編をいきなり読んで、その後に鬼隠し編を読んで同じ程度感動できません。私は矛盾を孕んでも、感動できるほう、つまり梨花(羽入)は世界を時間を巻き戻して繰り返している、を選びます。それを作者の心が分かってない!と批判する方が無粋だな、それが私の個人的味わいです。
きりん 2007/09/14(Fri)14:26:56 編集
無題
返信ありがとうございます。

野坂昭如の話は以前TVタックルかなんかで本人が言ってたのを見ました。
確かに僕が先生でも怒りますねw
目的が違いますから。
野坂昭如は公衆の面前で大島渚を殴るなど奇行がめだつ駄目大人ですが端から見ている分には面白いです。
知り合いにはなりたくないですが。

平行世界の話ですが、僕の解釈(妄想)ではやはり時間的に連続していない別世界だと思います。
ただ、大本の魂みたいなものは共通していて、その魂というかパーソナリティの根源みたいなものから派生した可能性の羅列が各編の行動につながっている。
では罪滅ぼし編の圭一は偶然の奇跡なのか?というとちょっと違って、鬼隠し編や祟殺し編での身を引き裂くような強い後悔が根源の魂に届き、以降の行動に影響を与えたのではないかと。
つまり鬼隠し編での経験がなければたとえ圭一が惨劇を想像できたとしても罪滅ぼし編はありえないのではないかと思います。

各編を踏まえた上での各キャラの成長は読んでいて本当に感動しますね。ひぐらしの面白さのキモだと思います。
僕もいい年して泣きながらプレイしてました。
実写映画でもこれが表現できてるといいですが時間的に厳しいかもしれませんね。
なんにせよ公開が楽しみです。





余談ですが、僕は日記を書くとき酒を飲む癖がありまして、書いてるうちに感情的になってしまうことがあります。
改めて今回の日記を読むと乱暴な文章になってしまっていると反省しています。
この文章を読んで文体に不快感を感じた方がいらっしゃるならばお詫びさせていただきます。
すみませんでした。

ただ、僕自身の意見・感想としては文体を除き今のところ変わりませんし、一度やってしまったことを無かったことにするのは嫌いなので修正はしません。
目をつぶっていただけると幸いです。
Z 2007/09/14(Fri)15:19:13 編集
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